不信と依存は同時にあるものですけれど、依存を認めなければ、子どもの世界を理解したことにはならないんです。子どもが成長して自立していくのがいちばん尊い、なんていうのは、それは違う。人生修行をして、あるところまでいったらもう立派に大人になったねって線を引いていくような、ドイツの教養小説とは違うんです。
子どもというのはそうではない。子どもは賢くもなるけど、何度もばかをやる。繰り返しばかをやる権利を子どもたちは持っている。幼児の世界はとくにそうですよね。"
(via yue)
電機屋さんでいかつい男と背のちっちゃいカップルを見た 20代くらい
女「トイレ…」
と言った瞬間男が マジか!! みたいな感じで素早く手をぎゅっと握り
男「大丈夫?我慢できる??」
と言ってまるで子供をつれていくかのように歩きしだして
何メートルか進んで彼女顔赤くして
女「子供じゃないねん…!」
男はごめんみたいな感じで手を離した
女「…手はつないでてええねん」
再度手をつないでトイレに歩いて行く姿が微笑ましかった"
あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。
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こうやって丁々発止で説得し合ううちに、けっこうみんな、最初とは意見が変わっていくんですよ。「自分はドッジボールが好きだけど、当てられて嫌がる人がこんなにいるなら、バスケの方がいいかな」とか。「ソフトボールがやりたかったけど、言われてみれば学校のグローブはボロいし数も少ないし、別の種目の方がいいかな」とか。いろんな角度から意見とその理由を発表し合って、考えに考えて、意見が出尽くしたところで「では採決を」と持って行くのが、マツダ先生のやり方でした。
これが当たり前だと思ってたんだよね、小学生時代のあたしは。ところがいざ中学校に入ってみると、そこでの「話し合い」はこんなていたらくだったんです。
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なんちゅう幼稚な意思決定方法だ、と12歳のあたしは思ったね。こいつら小学生以下かと。これじゃ各自がなにも考えずに「ぼくのわたしの好きなもの」を選んでるだけで、意見を交わしたり考えたりっていうプロセスがゼロじゃん。自分と違う視点に気づくチャンスすらなく、それぞれセルフィッシュに「(自分が好きだから)これがいいでーす」と手を挙げるだけで、こんなの何の意味があるんだよと。
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そんでもって、意見交換で相手を説得するには根拠が必要なんです。上の方にも書いたけど、根拠を挙げようと思ったら、「ぼくは/わたしはこれが好きだから、みんなこれに賛成するべき」なんて小学生ですら恥ずかしくて言えなくなります。たとえタテマエでもいいから、「なぜこれが集団の構成員全体にとって有益なのか」を示さなければならなくなるわけで、全員が頭をひねってその「なぜ」を考えるうちに議論が深まり、より考え抜かれた意見が形成されていきます。そこまでやってから決を採ってこその多数決でしょ。
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結局はマツダ先生が偉かったってことになるんでしょうけど、ああいう議論のしかたの教育を日本じゅうの小学生が受けられるようにしなくちゃいけないと思いますね。ゆとり教育の見直しで算数だの英語だのの時間を増やすのもいいけど、こういうところにももっと力を入れていく必要があるとあたしは思ってます。
"マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記
これ、一度そういう経験をしないとわからないと思う。
(via dorelax)
(via yue)
昔、まだ小学生だった時の話。
近所に『評判の幽霊屋敷』と言う空き家があって
まあ、どこにでもある平屋なんだが、何でも噂では悲惨な死に方をした人が居て
それ以来、部屋の壁に苦悶の表情を浮かべた人の顔が浮かんでいるらしい
当時、馬鹿なお子様だった俺と友人数名はその顔とやらを確認するべく突入した
程なくして、それは居間らしき部屋で見つかった。
確かにその染みは物凄く苦しそうな顔に見える。
普通はここで「ぎゃー! 怖ェ!」とかなるんだろうが
生憎、俺たちは馬鹿だった。
「よっしゃ! 俺、鼻毛描く!」
「俺、眉毛!」
各々に用意していた、マジックで、その顔に思い思いの落書きを施す。
すっかり、劇的ビフォアアフターなお茶目フェイスになった怨念の顔(仮称)に満足し帰宅。
だが後日、落書きに行った友人の一人が原因不明の高熱で一週間近く学校を休んだ。
復調後、学校に来た友人は開口一番変な夢を見たと言う。
「何か夢の中で、物凄い形相をしたおっさんに追いかけられたんだ……」
俺たちはまさかと思い、まだ全快とは言いがたい友人を残し例の幽霊屋敷に向かった。
居間に行くと、落書きの下に例の『顔』が無い!
探してみるまでもなく、それは落書きの直ぐ横の壁にあった。
憤怒と言うか、怒り狂った形相に姿を変えたそれが俺たちを睨みつけている。
怒っている――霊が怒ってるんだ!
241 名前:転載[sage] 投稿日:2008/11/03(月) 21:41:45 ID:rhWsY8Dw
70 名無しって呼んでいいか? :2008/10/30(木) 19:11:33 ID:???
451 :2/2:2008/10/19(日) 11:16:09 ID:kLlSdQeS0
だが、俺たちは容赦なく馬鹿だった。
「なんじゃコイツ! 怒ってるのか!?」
「生意気じゃ! 落書きしたれ!」
猛攻だった。類稀に見る猛攻だった。今度は胴体も描いた。『おならプー』と屁も描いた。
俺たちは満足して幽霊屋敷を後にした。
数日後、例の魘された友人がまた変な夢を見たと言う。
「何か、前に見たおっさんが……泣いてた」
俺たちは三度、幽霊屋敷に向かった。あの染みはもう、どこにもなかった。
今思うと、何か可哀想な事をしたと思わんでも無い。
(via yue)
娘(10歳)が玄関まで来て深刻な顔で「話があるの」って言ってきた。
リビングに小さなダンボールが置いてあって、耳だけ見えてる。
拾ってきて飼いたい、パパお願いと切実に言ってきた。
自分は昔から本当に猫が好きで、ずっと苦楽をともにしてきた1匹の猫が死んでからは、
あまりの悲しさに、もう二度と猫は飼いたくないと思ってた。
(ここにいるみんなからはその気持ちに不満の声があがると思うが)
拾ってきた子の姿を見てしまえばもうダメだと思って、一切無視して、
娘が悲しむだろうとか、死んだ猫のこととかいろいろ考えて、振り絞って、
「○○、この家ではな、猫は飼えニャイ。」と言ってしまった。
一瞬でも猫のことばっかり考えたら、死んだ猫にニャン語使ってたのが勝手に出てきた・・・orz
もともと自分が猫が好きだってこと知ってる嫁が大爆笑して、
「飼えニャイわけなかろうwww」と言い出し、
娘も「いいの?いいの?」と、完全に母娘が「チョコちゃん良かったねー!」
と、すでに決めた名前を呼んでダンボールから取り出して抱っこしてた
ぬこのコピペください 前編 - 〓 ねこメモ 〓 (via konishiroku) (via kkmk) (via rollstone) (via gkojaz) (via rosarosa)
2010-03-08
(via gkojax-text) (via tsaori)
見かけたらReBlogせざるをえにゃい名quoteのひとつ。
(via petapeta) (via noshirocket) (via yue)




